
今日は気温が20度にもなり、緑も一気に芽生えてきた感じ。
今年初めてのチャリンコで出勤して、漕ぎまくって疲れた。
最近読んでいる本はJ.V.ネウストブニー著の「外国人とのコミュニケーション」。日本に帰る友達が置いていってくれた本。何について書かれているかというと、
「母国を離れて暮らす外国人は、日常どんな壁に突き当たり、悩んでいるのだろうか?異質文化の中で経験するコミュニケーション上のつまづきは、ことばによるものばかりではない。著者の言語学者が、今日のいわゆる外国人問題の根をさぐり、国際化時代のコミュニケーション教育はどうあるべきかを考える。」
とある。
外国人のその国での位置と、外国人の外国語でのコミュニケーションというのは、母国語で意思や考えを伝えるよりもそうとう言語的、文化的に不利だと言うことが書かれている。
確かに日本人同士で話している時って、ものすごく楽しい。いくら何年勉強して、子供にも一応お母さんのフィン語は大丈夫というお墨付きももらっているけれど、フィン語を使う環境にいるとは言え、母国語での表現に比べたらフィン語で表現は限界がある。
この本が書かれたのが1982年、それから25年。著者の言う通り、語学は文法・翻訳が中心の読むための手段から、人間同士のコミュニケーションの手段として変貌している。
「この世界はせまいし、そしてさらに狭くなっていく」とあるが、世界は狭くなってもコミュニケーションの手段の言葉の多様性、文化の相違は簡単に超えられるものではない。
著者はある外国に住む外国人を被験者とし、その人間関係ネットワークを調べた。移住しての最初の数年は現地人とネットワークを拡大しようとする。しかしその後「コミュニケーション上の幻滅」を体験し、やはり同じカルチャーを持つ人々との接触に依存し、現地人とは疎通になる。
海外の日本人が日本人同士固まるのは周知の事実。自分は結構アウトサイダー者で「不必要には群れないわ」って自分で思っていたけれど、自分だって上記の過程をもろにそのまま過ごした。本当に夫の家族とも疎遠になってしまい、今はフィンランド人よりも日本人といるほうが楽しい。
異文化のコミュニケーションや理解というのは、人間の永遠の課題なのかも。